徒然なる熊さんのお薦め本5

「ユダヤ5000年の知恵」著者「ラビ・M・トケイヤー」訳者「加瀬英明」 講談社 

 本書はユダヤ人の聖典とされる「タルムード」に記載されている極一部の内容を私達日本人向けに解りやすく紹介してくださっている本である。膨大な量と云われる原典に比べれば本当にささやかな量ではあるが、それでも「ユダヤ人は何故世界で一番優秀な民族と言われるのか?」・・・という疑問に対して、おぼろげながらその答えを垣間見る事が出来ると思う。(少なくとも私はそうだった。) 成程、世界のノーベル賞受賞者の22%は彼らユダヤ人が占めているし、(世界人口比でいくと僅か0,3%しかいないのに・・・)また、アメリカ東部の一流大学の教授陣は 50%がユダヤ人であったりとか(在米のユダヤ人の数はアメリカの人口の3%に過ぎないのに・・・・)彼らが優秀な「頭脳」の持ち主である、という事は万人が認める所だろう。本書は特にその事に関係する「ユダヤ人の秘密」とか、「秘密の儀式」とかについて述べられているわけではないが、多くの学問的、または芸術的業績を残してきた彼らを生み育んできた「思想・哲学」は、「ここにある」と言っていいのではないか思う。また、優れた知性、優秀な頭脳というのは「穢れなき人間性」をその土台としている・・・と感じるのだが、その赤裸々な人間性もこの「タルムード」によって磨かれ、浄化されていったのでは ないか・・・と強く思った。あの、マルクスや、アインシュタイン、現代で言えばジョージ・ソロス、スティーブン・スピルバーグ等といった人物達が人生に悩んだ時には、その解決法をこの「タルムード」に求めていたという・・・では、どの様な事が書かれているのか、見ていく事にしよう。

その成立過程と迫害の歴史

タルムードの成立時期はとても古く、その淵源はやはり「モーゼ」の時代までさかのぼる。「モーゼ」と言えばシナイ山での神「ヤハゥエ」との十戒の契約締結、旧約聖書にも詳しく出てくる。ここで、「ヤハゥエ」はモーゼに石版に彫られた「十戒」を手渡す・・・(他の説としてモーゼ自身が「ヤハゥエ」から授かった戒律を自分で石版に掘り込んだという説もある)だが、その他に「口伝」によって数多くの戒律を授けたという。それらがやがて文章化され、(紀元前400年〜200年頃にかけて)「トーラー」と呼ばれるようになった。この「トーラー」を基にして中東のバビロニアで500年頃から現在の形として 本格的な編纂作業が始まったとされている。

現在のタルムードは次の、1「農業」、2「祭事」、3「女」、4「民法・刑法」、5「寺院」、6「純潔と不純」という様に6部編成になっている。そして、特徴としてある一つの「テーマ」(例えば商法とか・・・)に関する「規則・契約」が述べられている部分(ミシュナ)と、それに対するコメント(ゲマラ)が付随されている。このコンビネーションがタルムードの特徴だと言える。(今、現在ではこのゲマラはヘブライ語を始め、フランス語、ドイツ語、ロシア語、英語、中国語等・・・世界中の言葉で書き記されているとの事)

ユダヤ人(ヘブライ人)はローマ帝国時代から その圧制に苦しめられ、ユダヤ人は「集会の禁止」や「自由な学問の禁止」等、様々な制約を受けていた。だが、それらの迫害にも屈せず先覚者達はこの知的遺産を守り続けた。(中にはローマ人により、全身に赤く焼けた鉄棒を押し当てられても自己の信念を変えなかったラビ(僧侶)もいたと言う。・・・)それは「ユダヤ人から学ぶ事を取り去ってしまったら、ユダヤ人はもはやユダヤ人ではない」という固い信念を持っていたからに他ならなかった。著者によれば、「タルムードの勉強は、知的な研究ではない、これは宗教的研究である。神を讃える最大の行為は、ユダヤ人としては勉強することなのである。」と述べている。 この様に「学習する事」が「神を信じる」という行為として信じられているという事は、彼らにとって「神」とは例えば「キリスト教徒」の様に「イエス」を神として崇めるという、「擬人化した信仰対象」ではなく、学ぶ事によって得られる「偉大な真理」若しくは「絶対的であり、普遍的な法則性を持つもの」・・・そしてそれこそがこの「世の中」に価値創造的な「何か」・・・「神としての働き」を生み出してくれると信じているのではなかろうか?(余談だがユダヤ教徒にとっては勿論「旧約聖書」が彼らにとってこの上なく重要な意味合いを持っているが、例えばそこに登場して来る絶対神「ヤハゥエ」は別に「自分自身を信仰の対象 として崇めよ」とヘブライ人に命令した訳ではない。むしろ、あらゆる偶像崇拝を禁止している様な文句が見られる。・・・・これは仏教の創始者である釈尊と同じだ。彼もまた、「自分の偶像を作って拝んだり、また自分が亡き後その遺骨(舎利)を収めた塔を立てて拝んだりしてはならない。」と弟子達に対し遺言を残しているのだから。・・・

話が少し飛びましたが、「タルムード」の話に戻しまして中世のフランス・パリに於いても、そこにあったタルムードを(何故、パリにあったのかと言えば恐らく十字軍遠征時の時に中東地域より没収横領して来たのだろう・・・)キリスト教徒が禁書にし、荷車に積んで焼いてしまったという。 (キリスト教徒は他にも様々な土地で、例えばエジプトのアレクサンドリア図書館での焚書、トルコのエフェソスでの図書館での破壊、焚書・・・等様々な「知的犯罪行為」を犯している。・・・いや、もしかしたら自分達キリスト教徒にとって役に立つと思われる本は秘かに「写本」してオリジナルのものを証拠隠滅の為、焼却したかったのかもしれないが・・・彼らキリスト教徒の支配欲、権威欲は異常なほど強いのだから。)その後、ローマでも1520年、53年、66年、97年に、タルムードが押収されたり、焼かれたという。

深遠なる人間観

 タルムードでは人間の心に備わる様々な「欲望」や 「本能的欲求」について、それら自身が直に「悪徳」に結びついていくという教えを説いている訳ではない。(キリスト教ではこういう教えを説かない。例えば中世のキリスト教会は一般信者に対して金儲けをする事は忌まわしい事であると信じさせ特に金融業にキリスト教信者が就く事は厳禁とされていたし、「性欲」も「悪魔の仕業」だと本気で考えたりもした。・・・そのため、女性を酷い侮蔑の言葉で罵っている文章もある。<例>6世紀、キリスト教哲学者「ボエティウス」は「女とは下水溝の上に建てられた聖堂だ」との言葉を残している。また、10世紀には教会修道士のオドがこんな言葉を残している。「女を抱く事は肥やし 袋を抱く様なものである」・・・さらに酷い場合は、自らがある美しい女性を見て「欲情」したとすると「自分がこの様な淫らな欲望をかき立てたのは、あの女が悪魔の使いだからに違いない!」と女性を「魔女」扱いしてみたりと・・・理不尽な発想が多々見られた。

・・・タルムードでは、男女の情愛はどの様に説かれているのか?次の様な言葉が紹介されている。「性交とは生命の川である。川は荒れて洪水を起こし、色々なものを壊す事があるが、時にはまた快く色々なものを実らせ、世界の役に立つ事が出来る。」と。・・・また、「性交渉は正しく清く行なえば喜びである。性的交渉において、醜いという言葉を使うことがあってはいけない。」 と諭されている。

・・・そう言えば、中世のヨーロッパでは(主にフランス、ドイツ地方)「サバド」という怪しげな儀式があり、それは暗闇の中で不特定多数の男女が輪姦し、さらに「犬」や「馬」といった動物達とも獣姦し合い(確かにこういった手合いの映像は現代でもアダルトビデオとして販売されているが・・・)「人間以外の何か」・・・をそこに参加している男女の誰かに「憑依」させようとしたという。(勿論そこには正しい人間性等かけらも存在していない・・・)そしてこれらの「悪魔的儀式」はキリスト教会が強い影響を振るっていた地域で行われていた事を見逃してはならない。彼らキリスト教徒の中には「ユダヤ人があらゆる病気の 淵源であり、彼らがヨーロッパに災いをもたらしている」と非難した事があるが、何のことは無い、そういった原因を招く行為をしていた張本人はむしろ自分自身だったのだから。・・・(ちなみに旧約聖書(出エジプト記)の中で、ヤハゥエは「獣と寝る者は必ず死ななければならない」と意味ありげな教えを残しているようだが・・・その言葉の真意とは一体?・・・・

・・・さて、人間が持っている「本能的欲求」として「性」の問題を少し取り上げて見ましたが、もう一つ「悪に対する衝動」・・・(これもあらゆる人間が持っている、なくそうとしても失くせるものではないし・・・)このやっかいな感情をタルムードではどう説いているのか?本書の中にこういった箴言があった。「悪への衝動は銅の様なもので、火の中にある時は、どんな形にでもする事ができる」・・・どうだろう?あなたならどの様に解釈するだろうか?・・・私はこの様に解釈して見た。「悪への衝動=銅が火の中にある時とは、まさにその激情が心の中で燃え盛っている最中であり、自分自身が熱くなっている心理状態、その中では確かに 銅=「悪に対する衝動」はやわらかくなり如何なる形にも変形する事が出来る、人を傷つける「剣」や「矛」にも成るし食べ物を入れる「鍋」にも成るし、また自身を映す「鏡」にも成る。(銅鏡・現代では使われていないが・・・)・・・つまり、自分の心の中でこの様な激情が起こった時こそ冷静に自身を見つめその感情を有益なもの(鍋、鏡、燭台等・・・)に転化させる事こそ肝要であると、(また、この様な激情があるからこそ人はそこから「何か」を生み出していけるのではないか?(創造とはある意味闘争的であると思う)他にもこんな箴言があった。「他の人より抜きん出た人は、悪への衝動もそれだけ強い」つまり、「他人より抜きん出た 人」=「活動的で、創造性に溢れた人」は紛れもなく「闘争本能が強い人」でもある。だから、物事を判断する時にはまた、人一倍の慎重さが求められる。また、自分をコントロールする強い「克己心」が必要だ。(特に権力を掌握している政治家や役人達は)さらに、こんな面白い箴言もあった。「世界には正しい事しかしない人間はあり得ない。必ず悪い事もしている。」・・・・これは新約聖書に出てくる「義人なし、義人一人だにもなし」という件とほぼ同じ意味だろう。自分では善行を積んでいるつもりでも、知らず知らずの内に他人を侮蔑していた。・・・何て事はよくある話ではなかろうか?

奉仕と勤勉の哲学

 巷では「ユダヤ人の世界支配の野望」とか、「ユダヤ資本が・・・の陰謀論」といった様なタイトルの本がよく出ている様だが、実際に彼らが世界を牛耳る程の力を持っているのかと言えば決してそうではない。(中世の頃、金融業を営むユダヤ人が多かったのはただ単にキリスト教徒が金貸しを生業とする職業に就く事は厳禁とされていたためであり、ユダヤ人にとってその職しか残されていなかったからである。)特に金融業界を支配してやろうという意思を持っていた訳ではない。作家シェークスピア(実は熱心なキリスト教信者である!)による作品「ヴェニスの商人」に出てくる金貸し商人「シャイロック」(作品上ユダヤ人)の様に「狡猾」で「奸智」に長けた 高利貸し・・・といったユダヤ人は実際には存在しなかったと思われる。本書の中にも「人は死んで家族と富(お金)と善行の3つをこの世に残す。しかし、善行以外はあまり大した事ではない。」との一節があった。金銭欲や物欲に必要以上に固執せよとの教えはどこにも見当たらなかった。また、現実としてアメリカに住むユダヤ人の3分の2が年間世帯収入7万5千ドル(約800万円)以下の中産階級であるという。(決してお金持ちが多いという訳ではない)

では、他の人種と比べて何が際立っているのか?・・・それは教育水準である。先ほどもユダヤ人とって「神を信じる」という事はタルムードによれば「勉強して偉大な真理を身に付け、生活の中でそれを活かす事」 に当たるそうなので、この事は頷ける話だ。米国在住のユダヤ人と一般アメリカ人との全体に対する大学卒の割合を比較すると、ユダヤ人が56%、後者が29%、大学院卒の割合になると、さらに開きが出てユダヤ人が25%、後者が6%となる。(2001年度の調査結果による)そういえば、本書の中にもこんな一節があった。・・・「あらゆる物を売っても娘を学者に嫁がせる事、または学者の娘をもらう為に家の全ての財産を失ってもよい。」・・・と。(徹底した価値観であるが。)つまり、教育こそあらゆる価値に勝るものである、また最高の教育を受けた人間は「最高の人財」であるとの認識が強い。しかし、実際にアインシュタイン、オッペンハイマー、(科学者) スピノザ、ベルクソン(哲学者)フロイト(心理学者)・・・といったそうそうたる人物達が輩出されているのだから、説得力はあると言わねばなるまい。

ロバート・オッペンハイマー ご存知米国ロスアラモス研究所で最初の原爆開発の最高責任者として有名だが、晩年は核兵器使用反対の活動にも積極的に参加している。

 まだまだ色々と述べていくが、「ユダヤ人」という人達はお金儲けの事ばかり考えている腹黒い謎めいた人達といったイメージとは違う実像を持っていると私は思っている。第一、世界の動向を握っている資産家連中というのは逆に反ユダヤ的思想に固執している人達が多い。(アメリカの財閥組織に多くいる・・・そして、第二次大戦中はあのナチス・ドイツと協力関係にあり、巨額の利益を手にしているのだ。)では商売が下手か?というとそれは全く当てはまらない。彼らは昔から寧ろ商売上手である。中世の頃、フランクを中心とするキリスト教徒による「十字軍の遠征」下においても、彼らユダヤ人商人はアラブの商人たちと交易を続けていたし、当時の先進的なアラブ文明を ヨーロッパに伝えるという重要な役割も果たしている。(※注1ここで、一つ述べておきたい事がある。それは「ユダヤ人」と聞くとどうしても白人種をイメージしてしまうが、元々はユダヤ人というのは「ユダヤ王国」に住む人々・・・という意味から来ているので、人種的には私達とあまり変わらない「セム系」黄色人種の事を指していたと思われる。そして、彼らは「スファラディ」と呼ばれる。それに対し主にポーランドやオランダに住んでいる白人種ユダヤ人は「アシュケナジー」と呼ばれる。つまり、一口に「ユダヤ人」と言っても欧米で活躍している人達だけではなく、現在のパレスティナ地域やヨルダン、シリア、といった中東地域に在住しているユダヤ人(元祖ヘブライ人 とでも言おうか。)も確かに存在している事を忘れてはならない。)つまり、貿易やもちろん布教活動もあっただろうが中東在住のユダヤ人達が、次第に北上して白人種達と交わる事によって「アシュケナジー」と呼ばれる人達が誕生していったと思われる。

さて、彼らユダヤ人達が商売上手なのは現代でも変わらないが、(例えば、アメリカ産業で主要な地位を占める映画産業はその創始者は殆どユダヤ人だったといわれる。

「カール・レムリ」・・・ドイツ生まれのユダヤ人でユニバーサル・スタジオの創業者

「アドルフ・ズーカー」・・・あのパラマウント映画社の創業者、ハンガリー生まれのユダヤ人

「ウィリアム・フォックス」・・・やはりオーストリア生まれのユダヤ人 20世紀フォックス社の創業者である。

・・・彼らをこのビジネスに突き動かす動機となったものは、決して巨額のお金が入るからではなく自分達と同じユダヤ人移民層に「文化」を与え、ユダヤ人の地位を上げるためだったといわれる。・・・(現代では、勿論ユダヤ人であるスティーブン・スピルバーグは特にこの事に意識して映画を作っている訳ではないと思うが・・・)

カール・レムリ・「ユニバーサル・スタジオ」の創業者、 米国移住当初は衣料品店を経営していた。あのアインシュタインの親戚にあたるとか・・・

他にもこの様な人達がいる。ハンガリー系ユダヤ人移民「ジョン・フォン・ノイマン」は現代のコンピューターの基礎を成す理論・システムを作り、20世紀最高の数学者の一人といわれる。また、面白い発明者として(こんな話も覚えておけば酒の席でのいいネタになるかもしれませんね。)世の男性の憧れである「ブラジャー」も実はロシア系ユダヤ人女性「イダ・コーエン・ロゼンタール」によって発明された。他にも日常生活では欠かせない「ボール・ペン」もハンガリー系ユダヤ人「ラズロ・ビロ」によって発案されたという。

・・・こうして見ていくとやはり世の中にかなり貢献しているなと頷いてしまうものである。そして、彼らのスゴサとは、この「独創性」や「創造力」だけ ではない。「社会奉仕」や「慈善事業」においてもその力は発揮されているのである。(私が、彼らユダヤ人がその優秀な知性は穢れなき人間性を土台としていると感じたのはそのためである)・・・本書内に次の様な一節があった。「一本のロウソクで、多くのロウソクに火をつけても、初めのロウソクの光は弱まらない。」・・・これは紛れもなく、他者に対する「施し」を奨励した箴言である。また、深く立ち入った見方をすれば、ユダヤ教の教えを広め人々の精神浄化の為の啓蒙運動を促した「教え」とも受け取れるのではないか?

現実にこの教えを実践して来た尊いユダヤ人達が存在した。1909年に設立されたアメリカ在住の黒人の権利平等を求めるため組織された「全米有色人種地位向上協会」 の創立者達は全員ユダヤ人だったという。(すごい話ではないか!)命懸けの精神闘争を繰り広げ、白人過激派によって殺されたユダヤ人もいたという。・・・(私達日本人にかれらの様な真似が出来るだろうか?)また、世界で初めての緊急医療援助を専門とするNGO「国境なき医師団」を設立した「ベルナール・クシュネル博士」がいる。(彼は国籍上はフランス人だが、父方がユダヤ人で、本人に強い影響を与えて来たといわれている。)最初の一歩を踏み出した人物はやはり偉大ではないか?・・・人はともすれば我が身の可愛さに「他人の不幸」に対して目をつむる習性を持っている事は否めないが、彼らは敢然とそれらの不条理や不当な圧力に対し闘いを開始したのである。本書には 「行動は言葉よりも声が大きい」との箴言があった。・・・その通りだ!

本書内には他にも「施し」を奨励する箴言があった。例えば「慈善を行わない人間は、どんなに豊かな金持ちでも美味しい料理の並んだ食卓に塩がないのと同じである。」・・・己の利益のみを考える生き方は何か物足りない側面があるという事だろうか?投資家「ジョージ・ソロス」もこんな言葉を残している。「慈善事業は利益を追求する事によりもたらされた孤独から、私を救ってくれた。だから、慈善事業を始めて本当に良かったと思っている。ヘッジ・ファンドと結びついているより、基金ネットワークと結びついていた方が私は遥かに幸せを感じるのだ。」と・・・(彼はアパルトヘイトが行われていた南アフリカの黒人生徒の ケープタウン大学への通学援助のために基金活動や、中央・東ヨーロッパのいたるところの大学への援助とサラエボ包囲間の市民の援助、等多方面に亘って行っている。)・・・

ジョージ・ソロス、現在でこそ「帝王」、「ファイナンスの天才」との異名を持つ彼だが、若い頃はハンドバッグや革製品を扱う流通業者のセールスマンだったという。(しかも、その仕事に失敗したとか・・・)

様々なユダヤ人の芸術家、エンターティナー達

ざっと解っている人達を上げて見よう。(順列に特に意味はありません)
フレデリック・ショパンシャガールA・ルービンシュタインH・フォードボブ・ディランP・ニューマンバリーマニロウ

エリザベス・テーラー・・・彼女はユダヤ人の血を受け継いでいる訳ではないが、結婚を機にユダヤ的思想に感銘を受けユダヤ教徒になったという。


 終わりに・・・・・

 結びとしてユダヤ人の生死観、葬儀のあり方について述べてみよう。ユダヤ人の家庭で誰かが亡くなったとすると、1週間後には外に出て家の周りを1周するのだそうである。「輪」を描いて回るというのは「人の命」も「輪」の様に終わりがあってはならず、常に回っていなければならない・・・という事を意味しているという。(仏教の転生輪廻観に似ている)・・・また、ユダヤ人の葬式は金持ちも、貧乏人も学者でも、無学の者でも全て同じ棺、同じ服で行うという。・・・つまり、人間の地位や富によって葬式の形態は変わらない。これは「人間の平等を尊重している」のだという。(現代の日本の葬式仏教には全く当てはまらない・・・支払う料金によって、内容がかなり違うのはご存知の通りである。 ユダヤ人の柔軟な発想や鋭い知性というのは、この辺りの発想から来ているのではないか?・・・と思った。)彼らはまた、無意味な「権威」、「権力」というものに対し人一倍嫌う性質を持った人種でもあるのだから・・・・
リンク先の名前
どんなサイト?
ユダヤの教え
ごくシンプルに本書に書かれていた箴言を紹介しているサイトです
古代ヘブライ研究室
とても内容が充実しています。教養が深まる事間違いなしです

補足

※注1実はこの話は私達日本人にも関係している。興味のある方は
「日本書紀と日本語のユダヤ起源」徳間書店 「ヨセフ・アイデルバーグ」著をご一読下さい。

参考文献

「ユダヤ人の頭の中」インデックス・コミニケーションズ「アンドリュー・J・サター」著

「独創を阻むもの」地人書館 「永田親義」著

ユダヤの象徴「六芒星」・・・「ヘキサグラム」について

 ユダヤ人の象徴として、この六芒星は使われているが元々は古代ヘブライ人の「 魔除け」として使われていた。例えば、古代イスラエル第2代の王「ダビデ」や第三代「ソロモン」はこの図形が生み出す不思議な力によって、敵や、魔物を調伏したというし、精神の調和と安定を得る事が出来たという。(ちなみに、古代インドの数の概念として6は具足、安定を意味する幸福の数字として捉えられている。)
現代、イスラエルの国旗として使用されているのはご存知であろう。 この不思議な六芒星を人体の健康増進に役立てていこうという立派な会社が扱っている商品があるので紹介しよう。
こちらの商品は1個2000円の商品となります。興味のある方は、是非クリックして見て下さい。

社名・「e.Tabletops」

社長は女性の方で、「六芒星」との出会いは昔アメリカでユダヤ人の方が経営する会社に勤めていた事がキッカケとなったそうです。少し上記の商品説明をすると、●サイズ: 直径5cm 厚さ4mm 重さ10g ●表裏両面に六芒星が金転写されています ●色々な生活環境に応じて活用できます  人体に直接、頭に、腰に、お部屋に  お風呂に、炊飯器に、冷蔵庫に  電子レンジ(外側)に、パソコンの電磁波軽減に  そして園芸、ペット等にも! ●波動 測定+18、 水道水-1も+6に変えるパワー ●うつ病、不眠症、無気力から開放された体験談もあります ●車に付ければ、ガソリン節約、燃費改善にも効果あり! ●開運◎ お守り
・・・実は私も違うバージョンの六芒星マークをこの会社から購入して、使用していたりする。
 ご覧のように自宅パソコンの脇に、電磁波の体に受ける負担軽減をもたらすと信じて取り付けている。気付いた事として、左側の目があまり疲れなくなった事が上げられるか・・・確かに何らかの「波動エネルギー」が発生している事は確かな様である。  

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