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徒然なる熊さんのお薦め本3

「失われた発見」 著者「ディック・テレシ」 訳者「林 大」 大月書店 

著者は米国の雑誌「オムニ」の創刊者の一員であり、現在は評論家、エッセイストである。読んで見た感想としては 「アメリカ人にしては随分、正直な物の見方をするなぁ」と・・・(主観的な意見を言わせてもらえば、やはりアメリカ人というのは陽気に軽いタッチで人を騙す人が多い(笑))・・と今でも思っているので。
・・・でも、本書を一読すればそんな「イメージ」は吹き飛んでしまいます。(国は換われども人はそれぞれ「十人十色」という事だろうか?) もし、あなたが今現在「西洋民族」や「西洋文明」に対し何か言いようのない「コンプレックス」らしきものを感じているのなら、本書をジックリと熟読する事を多いに薦めます。
 かつて19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ・カナダ等の白人種国家では「黄禍論」という私達有色人種に対する根拠のない「差別意識」が紛然と湧き起こってきた事があるが
本書に書かれている内容はその正反対の「公平なる視点」で書かれた「黄讃論」とでも言うべき貴重な書物です。 私達が学校の教科書で学ぶ「科学史」とはまた、全然違います。(確かに文部科学省認定の教科書が全て真実と公平性に溢れたものとは限らないのだろうが・・・)
本書は東洋世界における「数学」・「天文学」・「宇宙論」・「物理学」・「地質学」・・(正直これはあまり面白くなかった)・「化学」 について縦横無尽に様々な「文献」「資料」を駆使し
この地上における真理の発見者は誰なのか?「西洋の常識」とはどこまで真実なのか?・・・ある意味、非常に重いテーマに挑んでいます。 (追記・巻末には様々な引用文献、参考資料が載せられていて、専門的に学んでみたいという方にとっても多いに役立つと思います。) それでは、本書の「内容」について幾つか触れていきましょう。(独断と偏見で私の主観的な意見も入っておりますが・・・)

「科学史」再発見  

      

ニコラウス・コペルニクス(1473〜1543)・・・疑惑多き人物として取り上げられる事も・・・

 西洋科学史で最も重要な科学上の業績の一つに、ニコラウス・コペルニクスが著書「天体の回転について」で述べた「地動説」がある。科学史家のトーマス・クーンは、ポーランド生まれのこの天文学者の業績を「コペルニクス革命」と呼んだ。(または「コペルニクス的回転」ともいう)この出来事が最終的に西洋の「中世」に幕を引く出来事だったと著者は述べている。(何故なら、ご存知のようにキリスト教的世界観では天動説しか認められていないため)
 この16世紀に発表された太陽系運動の学説は、古代ギリシャの哲学者ユークリッドの「原論」や、2世紀のギリシアの天文学者「プトレマイオス」の業績を基に作られていったと学校では教えられているはずである。・・・しかし、この考えは1950年代の終わりに崩れ始めた。コペルニクス的回転運動を証明するためには、古代ギリシア人が考え出したのではない「定理」が2つ必要だというのだ。そんな折、当時レバノン・ベイルートのアメリカン大学のエドワード・ケネディ氏はアラビア語で書かれた1350年より前の「天文学の論文」を発見した。 そこにはコペルニクスによる月の運動のモデルとそっくりな幾何学が述べられていたという。その定理を考え出した人物は誰か?イスラム天文学者「ナシール・アル・ディーン・アル・トゥーシー」なる人物で、コペルニクス より300年程前に生きていた。
   

アル・トゥーシー 1201 〜1274 (神学者であり、哲学者でもあったようだ・・・)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 著者によるとコペルニクスが幾何学的な点の表示に用いた(惑星の天体運動の解説において)記号はアル・トゥーシーの表記法とそっくりだと指摘している。例えば、アル・トゥーシーが「アリフ」の文字で表示した点を、コペルニクスはAで表示しており(これは実際にアラビア語を知っている方ならご存知のはずだが、文字「アリフ」はローマ字の「A」に相当する)また、アラビアの「バ」の文字で表示した点も「B」という具合に、コペルニクスはそれぞれの点を、標識として使われていたアラビア文字に相当するローマ字で置き換えているというのだ。
この様にコペルニクス革命で用いられた新しい数学は、ヨーロッパ人ではなくイスラム教徒の頭の中で最初に生まれたという。この事実は”西洋人のプライドをあまりに深く傷つける為に、大方の歴史家はその事を無視して来た”と著者は断言している。(勿論、日本の教科書でもこんな話は出てこない)・・・こんな感じのネタ話が本書では沢山出てくる。だが、それは多分事実だろう。その事を指し示す動かぬ証拠がある。
それは古代の遺跡群だ。エジプトの「ピラミッド」1つ取ってもどれだけ高度な数学と建築学(そして恐らく天文学も)が必要とされたかは容易にわかる。勿論ヨーロッパ圏にこれに匹敵する建築物を確認する事は出来ない。一般に私達は学校の授業で次の様に習ってきた。 「科学は紀元前600年頃古代ギリシャで生まれ、数百年に亘って栄えた。だが、146年頃、ギリシャはローマ人に取って代わられた。(そしてローマでキリスト教が国教となり、長い理不尽な「暗黒時代」が始まるのだが・・・」この時、科学は立ち往生してしまい長らく休眠状態にあったが、15世紀に入りヨーロッパのルネサンス運動で復興した。」・・・と。
しかし、この一般論では紀元前600年以前はインド、メソポタミア、エジプト、中国、南米地域では全く科学を行ってこなかった・・・というイメージを植付けてしまう偏った見方であるというのが正論ではなかろうか?  実際はそうではないのだ。およそ、科学と呼ばれるに価する学問及びそれに付随する技術的事柄は古代ギリシャより遥か昔、※1古代シュメール人の生活の中に見出すことが可能だ。(紀元前3000年頃)彼らは(一体何処からやって来たかは謎とされているが)土地を測量する時には既に60進法や簡単な三角関数も用いている。そして彼らの文明はバビロニア人へと受け継がれていく。 最も中には非西洋科学文化の業績が認められないのは、単なる無知のせいではなく、ある陰謀(勿論西側の人間達による意図的な)が働いているからだと主張する学者もいる。コーネル大学の政治学の教授・「マーティン・バナール」は、ギリシア文明を全ての源とする西側の歴史観を 問い直す「黒いアテネ」を著している。その中で氏は、「ギリシャ文明のルーツはエジプトに見出せるし、言語学的にもギリシャ語の語彙の20%から25%は古代エジプトの言語から来ていると結論付けている。そして、ギリシャの偉大な知性は(ピタゴラス、デモクリトス、プラトン等等・・・)皆エジプトに旅をして、この国より様々な思想や知識を持ち帰っているという。(例えば、自分の数学の才能はピラミッドの傍で磨かれたと認める「デモクリトス」自身の文章が残っているそうだ。)要約すればギリシャ文化というのは紀元前1500年頃にエジプト人とフェニキア人による植民地化によって興ったものである。」・・・というのだ。  そして、数世紀の間ヨーロッパ人はエジプトが文明の「ゆりかご」だと考えていた。
しかし、19世紀に入り状況が変わり始めたという。この頃キリスト教の護教論者達がエジプトの汎神論を気に掛け、白人優位の「人種的純血思想」が「ロック」、「ヒューム」らイギリスの思想家達の間に根を下ろし始めた。こうして、19世紀の前半に「アーリア・モデル」が生まれた。この見方は、エジプト人の植民地が存在した事を否定した。(※2しかし、アメリカの科学史家であるバリー・フェルは言語学の観点から、やはり紀元前にはエジプト人やフェニキア人は北米地域に移住し、独自の文化を築いていたと主張している)
さらに、19世紀の終り頃には反ユダヤ主義が高まり、アーリア・モデルの提唱者はフェニキア文化の影響も否定した。そして最終的にはご存知ヒトラー率いる「ナチス・ドイツ」による「アーリア人優位種論」によってその頂点を迎える事になる。(あっけなく瓦解するが・・・)  しかし、かのナチスには、ある不可解な部分がある。それは、自らを「アーリア人」の最高種族であると吹聴しながら、(当時、間違いなくナチスの科学力は世界一だと言われていたにもかかわらず)トルコやチベット、中国、南米地域に派遣隊を遣わし親衛隊にある諜報活動をさせていたという。それは一体何だったか?・・・(例えば中国では漢方薬や針治療、易学、人体における経絡(ツボ)の研究をしていたらしいが、実際に人体経絡図を基に電気的な器具を開発し「リューマチ治療」の研究を行っていた科学者もいたらしい・・・他は長くなるので、省略します) 私達は「科学文明」と聞くと、今でもそれは殆んど「西洋世界」から生み出されたもの・・・というイメージを抱きがちだが、よく熟慮していけば必ずしもそうではない。・・・という事が解るのではないか?

「数学」−科学の言語ー 

 この章では大変に面白い歴史的事実を教えてもらった。(ちよっと今では絶対信じられない話・・・)
ある15世紀の時代、例えばあるドイツ人の学生がいたとする。実家は商売を営んでいて、自分も将来それを引き継ぐために「計算」に強くなりたいと思っている。そこで知り合いの先生からドイツの優良大学なら「足し算」と「引き算」を教えてくれるといわれる。では、「掛け算」と「割り算」は?と尋ねると「そんな高度な数学はドイツでは学べない、君はイタリアに行かなければならないよ。」と。・・・・
当時、イタリアでしかインド・アラビア数字を使った計算法が教えられていなかったというのだ!例えば、当時27х14という簡単な計算でも人前でやってみせると、「剣を飲み込む芸当」に相当する程の「魔法」を演じて見せた効果があったというのだ。・・・著者は次にこの様に述べている「数学ほど非西洋が強い分野はない、西洋科学の基礎をなす数学は、インド人、エジプト人、中国人、アラビア人、バビロニア人からの知的な贈り物である。マヤ人も有力な数学を発展させ、神官は祈る能力と共に「計算能力」も高く評価された。」と。(そういえば、現代でもインドでは子供時代から2桁や分数の掛け算を覚えるのだとか・・・日本の小学生よりかなり暗算能力は高いらしい・・・インド人恐るべし!)
さらに、非西洋人が決して数学に暗い人種ではない という証拠として次の事実を示している。

1.ヨーロッパ人が0及び、負の数の概念を受け入れる1000年ほど前にインド人はそれらを用いる事を考え出している。


2.紀元前の昔、エジプトの神官筆記者は「円筒」の体積を計算するための公式を知っていたという。(すなわち、係数πをギリシャ人よりかなり前に)


3.エジプト人は最小公分母の概念と共に分数表を考え出し、分数の計算も行っているが、ギリシャ数学には分数の計算法はないという


4.紀元前6世紀ごろ活躍した有名なギリシャのピタゴラスは若い頃、エジプトに旅しイランやバビロニア地方にも訪れたという・・・(特にエジプトには22年間滞在したという後世の歴史家の記述もある)やはり、彼はエジプトで新しい数学の知識を仕入れてギリシャに帰国したのだろうと著者も述べている(学校ではこの様な事は教わりませんね。)・・・著者はピタゴラスが謎めいた振る舞いとして、著作を残さなかった事を挙げているが(彼の弟子達にも「ある秘密」を守らせる事を誓わせたというが・・・・・その秘密とは一体?・・・


 

ピタゴラス(BC580〜BC500)西洋数学の創始者と崇拝される人物だが、その実体とは・・・?

「医学」−その学問的淵源は何処に?ー

※(こんな章は実は本書にはありません。私めが独断と偏見で作りました。(笑)でも、デタラメを述べている訳ではありません。・・・)

 

「シーボルト」(1796〜1866)「ドイツ近代医学の父」の異名を持つ彼は当時のプロイセン政府の密命を受けた日本内偵調査の諜報部員だったという説もある

私達はやはり「医学」と聞くと、どうしてもそれは西洋人によって作り出された「学問」であり、「技術」・・・というイメージを持っている。 実際に現代の医者は患者のカルテ(これもドイツ語だが・・・)を殆んどドイツ語で記す。そして、麻酔を使用した「外科的手術」や「免疫学」もこの有名なドイツ人「シーボルト」・・・によって作り出されたものであると・・・固く信じている。(勿論、学校でもその様に習うわけだが・・・) さらに「医学」という学問の源流はこれまた、古代ギリシャの「医聖」?と讃えられている「ヒポクラテス」という人物によって生み出されたと信じ込まされている。、2人とも偉大な西洋人で「東洋世界にはそんな傑出した人物等はいませんよ。」とばかりに教え込まされるのだ。・・・
しかし、本当にそうだろうか?  さて、話は少し飛ぶが皆さんは「釈尊」はご存知だと思う。(知らない人、いませんよね?)この「仏教」の創始者である釈迦には実は専属の「侍医」がいた事はご存知だろうか?名前を「耆婆」(ぎば)という。釈迦とほぼ同時代の人であるから、BC500年頃の人間である。その彼が既に現代の麻酔薬に相当する薬草類を混ぜて煮込んだ液体を使い、重度の内臓疾患を患う患者(胃潰瘍や胃癌などだろうか)に対し開腹手術等を行っていた事は驚異的であろう。
古代インドでは、現代にも受け継がれている優れた「薬草類」の調合法があるのだからこの話は真実であろうと推測出来る。(※3)さらにインドにはご存知「アーユル・ヴェーダ」というインド伝承医学(誰が作り出したかは不明)がある。5000年の歴史を持つと云われるこの医学は、ペルシャやギリシャの医学にもやはり大いなる影響を与えてきたという。 この「アーユル・ヴェーダ」とは何か?と問われれば一言でいうと「予防医学」と言えるだろう。 しかし、だがらといって軽んじてはならない。(この伝承医学で、あるエイズ患者も治癒したという報告もあるようだ。(※3)病気発生のメカニズムについても西洋医学より、格段に詳しく細かい、そして論理的である。
 健康   健康   健康 
 蓄積   _  _
 悪化  未病  _ 
 拡散  _  _
 定着  _  _
 発現  巳病  病気
 分化  _  _

上図は「アーユル・ヴェーダ」、「中国医学」、そして「現代医学」の「健康観」の比較図です


この図をご覧になってもお解りの様に古代インドの健康観というのはある意味「奥が深い 」・・・現代医学(西洋医学)には、この様な病気発現の概念は希薄だ。アーユル・ヴェーダで言えば最後の「発現」、「分化」の段階をおおむね病気と呼び、病気でなければ「健康」とされてしまう。十分に苦しいのに病院でいくら検査しても原因が解らず、「あなたは健康ですよ。」とか「気のせいでしょう。」(実はアーユル・ヴェーダには人の気の性質を主に3段階に分け、詳しくそれらの働きが人体にどういった影響をもたらすのか・・・事細かに論じられているのだが・・・(中国医学にもこの様な体系学があるようだ)等と言われて納得出来ないケースはよくある話だ。
 ところが、冒頭にも少し記したが、この「アーユル・ヴェーダ」の医学的思想哲学に基づき現代の「鉱物薬学」を応用した治療法を駆使し、「不治の病」させ治癒してしまう驚くべき成果が上がっているという。・・・皆さんはどう思うだろうか? (アーユル・ヴェーダについては詳しく述べると、とても長くなるのでこれくらいにします。) さて、話は中国に移りまして今度はあの有名な「三国志」にも登場する人物にスポットライトを当ててみましょう。

華陀(?〜208)中国でも伝説的名医として名高い

  華陀といえば、やはり「三国志」に出てくる1人の登場人物として 魅力ある英傑として書かれている。中でも有名なシーンは豪傑「関羽」が腕に矢を受け負傷したところ、腕の骨が腐敗して「骨を削る」という荒治療をしなければならない所に、華陀が現れ「自分にまかせてくれれば痛みもなく無事に治療をする事が出来る」と言うが、(これは華陀が使用していた麻沸散(まふつさん)を使用し(先の耆婆と同じ一種の麻酔薬)感覚を麻痺させる手法)関羽は「そんなものを飲む必要はない、碁盤があれば十分だ」と部下と「碁」を打ち始める・・・
 果たして関羽は碁に集中している間に麻酔なしで眉1つ動かすことなく、無事に手術を終える事が出来たという。(さすが、関羽!)・・・話が少しズレましたが、この様に古代中国においても「麻酔」を使用した「外科的手術」が行われていた事は確かな様である。
他にも・・・これは私が普段いつも思っている事なのだが、中国の政治家や要人達は日本の要人達と比べて格段に皆「若く」見えると感じませんか?(いや、これは気のせいではないでしょう)・・・・何か日本では手に入らない特殊な古来から伝わる「漢方薬」でも服用している、若しくは「秘伝」とされている「経絡」でも刺激しているのではないか?と・・・いつも思っているのですが・・・

「日本」−「竹内文書」が伝える古代の超科学とは?−

(こんな章も本書にはありません、日本についての内容が記されていなかったので、私めが勝手に補足させてもらいました。)
 本書では確かに中近東やインド、中国や南米地域には優れた数学、科学技術が存在していた事を著者は私達に教えてくれているが、こと日本の「失われた発見」についての論述はほとんどなかった。・・・「おや、では日本には昔からの優れた数学的、若しくは物理的な思考法(あるいはそれに関する技術そのもの)は全く存在しなかったのか。・・・」と嘆くのは、ちょっと待ってほしい。いや、決してそうではないのだ。では、日本にもその様な優れた知的な遺産があるのか?・・・「ある!」と私は言いたい。その答えのヒントはお薦め本2でも紹介した「竹内文書」にある!と言ったらあなたはどう思うだろうか?・・・
この古文書には様々な一応常識的に考えると、SFとしか思えない話の内容が幾つも出て来る訳だが(例えば、天空浮船の話や「羽根のライン」)これはどう考えても古代日本人には何らかの「物理的エネルギー」を発現させ「空」を自在に飛び回る技術を厳然と持っていた事を示している。では、太古の日本人はどの様な「物理的エネルギー」で空を飛び回っていたのだろうか?・・・・ここに一つの大きなヒントとなる、ある古代の図象文字(あるいは太古の科学式を形成する記号群なのかもしれない)がある。その名を「カタカムナ文献」という

別名「八鏡文字」ともいう・・・中国ではこの文字を使って上古代の日本には「アシヤ族」という高度な文明を築いた種族がいたという伝説が残っているとか・・・

   この「カタカムナ文字」、一体誰が作ったのかは全くの謎とされているが現代に広く知られるようになったキッカケをつくった人物は「楢崎皐月」とされている。

「楢崎皐月」(物理学者・1899〜1974)戦時中はあの「石原莞爾」の密命を受け原子力の研究をしていたと証言する関係者もいる様だが・・・・

 ※4一応、伝えられる話ではこの楢崎皐月が兵庫県六甲山中の金鳥山付近の山中にて、数名の助手と共に「大地電気」なるものの研究をしていたところ、「平 十字」と名乗る猟師に「俺の先祖からの秘伝の巻物だ」と言って手渡されたという。(この話の信憑性はさておき)楢崎皐月がこの奇妙な図象文字を大学ノートに書き写して、自宅に持ち帰り眺めながら思索を続けたところ「これは古代の科学的な図式かそれに付随する何かだろう」と 確信を深めたという。
彼の説によれば「アメノミナカヌシ」や「クニトコタチ」といった「神の名」または「サヌキ」(讃岐)「アワ」(安房)等の昔の国の名は実はカタカムナ人が作った「物理用語」の一種であると論じている。(※4)結論からいうならば、「サヌキ」とは陰電気性あるいは「電子」にあたる上古代語であり、「アワ」とは陽電気性あるいは半導体物理の専門用語である(ポジティブ・ホール)の概念に当たる上古代語であるというのだ。
彼が見つけた「カタカムナ的科学発想法」によれば「物質」の「酸化」、「還元」という自然現象も現代のイオン科学が解明出来ていない部分についても理論的に説明出来るのだという。この原理により 酸化した「屑鉄」も上質な「鋼」に原子転換、作物のあまり実らない「痩せた土地」(ケガレチ)も「肥沃な土地」(イヤシロチ)に地質変化、・・・等等、色々な科学(化学)的応用法があるのだという・・・(興味のある方は是非、関連書物を読んで見て下さい)・・・
さて、この「カタカムナ文字」に「電子」やそれに付随してくる「電磁場」に関する古代人の「考え方」が秘かに反映されているのであれば、一種の「超電導」に近い(但し常温状況下における)物理的エネルギーを導き出せる「公式」が隠されているのではないか?・・・と私めは想像してしまうのですが・・・あなたはどう思いますか?
(そしてあの「竹内文書」に登場してくる「天空浮船」はこの「カタカムナ」の科学原理を基に飛行していたと想像するのは勝手な妄想だろうか?・・・)

 「失われた発見」・・・それは実は現代において、決して「失われた」訳ではなく今でも厳然と受け継がれている「現在進行形」の偉大なる知的遺産である。・・・そしてそれらの宝物は私達有色人種が生きていた世界で生み出されて来たのだ。特に私達日本人は「偉大なる発見」(西洋人はこう言えば喜ぶのだろうが)は「ほとんどが白人種達によって見つけ出されてきたのだ」と固く頭から信じて疑おうとしない傾向が強い。・・・・だが、果たして本当にそうなのか?そう自問自答してみる事は、自分の心の中に実り豊かな「新しい発見」を提供してくれるだろう。・・・と私は信じている。
 最後に仏教の創始者である「釈尊」の言葉を引用して見たい。「不識天月但観池月」−「天の月を知らずに、ただ池に映える月を眺めるばかりである」ー ・・・・この経文の意味は「本当の偉大なる教えを知ろうともせずに、ただ目の前に映る(若しくは移ろい行く)仮の教えに心を奪われている事は何と浅はかであろうか」・・・と真実の法門を求めようとしない仏弟子達に対する釈尊の嘆きの言葉であるが、これはともすれば、おおよそ西洋人の模倣に終始してきた私達日本人の振る舞いに対しても「当てはまる」のではないだろうか?・・・・・「天月」がこの場合「何を象徴するのか」・・・賢明なあなたはもうお解りだろう・・・・・

参考文献
※1「シュメルー人類最古の文明ー」 小林登志子著 中央新書

※2「紀元前のアメリカ」 バリー・フェル著 喜多迅鷹・元子訳 草思社(この本は非常に素晴らしい本ですが、現在入手するのは困難です)

※3「大いなる生命学」 青山圭秀著 三五館

※4「謎のカタカムナ文明 阿基米斗著 徳間書店

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googleで検索した英字サイトを自動日本語翻訳したものです。読み応えのある内容です
 

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