徒然なる熊さんのお薦め本

徒然なるままに、日々身近な出来事や昔から心の底で疑問に感じていた事等に対し「ハッ!」とさせてくれた本、または何気なく手にとって見たが「オォーッ!」と独り感激してしまった本・・・等を
自己の独断と偏見で紹介してしまうコーナーです

「最期のムー大陸・日本」 著者「神衣志奉」 出版社「中央アート出版社」

この本はあの有名な一昼夜にして海に消えてしまったという伝説の「ムー大陸」について詳しく書かれている・・・という訳ではありません。(本書の中で著者は勿論、「ムー大陸」およびその場所に栄えていたであろう高度な文明について過去に存在していたであろうと肯定的な意見を述べています。
しかし、「ムー大陸」は何故突然海中に没していったのか?・・・という疑問が知りたい方は別の本を手にした方がいいでしょう。 この本には、「ムー言語」?なるものを定義し、それから世界中の様々な言語を通し主に「日本語」にこそ古代「ムー言語」なる言葉の発音的遺産が含まれている・・・と豊富な例証を挙げ独自の主張を展開されています。私としては「かつて世界は只一つの言語しかなかった」・・・(その言語こそムー言語であると著者は主張している訳ですが・・・)その伝承話を証明すべく「神」―という概念から出発する著者の「鋭い知性」には 心の底から感歎したのを覚えています。・・・ここで少し本書に出てくる「神」を意味する世界の言葉の一覧を載せて見たいと思います。(教養が深まる事間違いなしです)
日本語・・・・・・・・ kami=神
アイヌ語・・・・・・・ kamui=神(ka=上 mui=おおうもの
韓国語・・・・・・ ・・kam=神
インド、ヨーロッパ語・・kamu=おおう
トルコ語・・・・・・・・kamu=神秘的な力を持つ者
サンスクリット語・・・・kamu=帝王
マレー語・・・・・・・・kami=支配者の自称
どうです?偶然にしてはあまりにも・・・・?
他にも著者は古代共通言語が存在していた証拠として、「RA」音と「MU」音・・・を言葉上において最重要視しています。それは何故かというとこの2音を合わせると「RA・MU」となり、それは人間の「魂」=「たま」そのものを意味するのだとか・・・・例えば「RA」音を含む物や名前は全て、「父性的観念」「垂直形状のシンボル性」を合わせ持つという。(但し、現代の日本語では、RA音はTA音に変韻している
<例>・・・「縦」「TATE」 「建つ」「TATU」 「竹、丈等・・」「TAKE」 「高し」「TAKASHI」・・・全て垂直形状をイメージさせるものばかりである。名前としては・・・「武」「TAKERU」 「辰夫」「TATSUO」 「達也」「TATSUYA」・・・ご覧の様に男性名には「TA」音を含むものが多い。
しかし、語頭ではなく語尾に来る「RA」音は、そのままで用いられているようだ。
<例>・・・「はしら」 「HASHIRA」 「わら」 「WARA」 「にら」 「NIRA」 「そら」 「SORA」 「天」=「スメラ」「SUMERA」・・・同じく高くそびえるもの、「垂直形状」をイメージさせるものばかりです。
では、MU」音はどうかというとそれは「母性的観念」「円形のシンボル性」を表す言葉が多いのだ。(但し現代日本語では、「MU音」は「MI音」に変韻している。さらにもう一つ敷延して言えば、「M」音を含む全ての音(MA,ME等)も当てはめて考えて見るとよい。
<例>・・・植物の「実」「MI」 「豆」「MAME」 「米」「KOME」「鞠」「MARI」・・・・全て円形のイメージをもつものばかりである。名前なら・・・「美智子」「MICHIKO」 「美樹」「MIKI」 「めぐみ」「MEGUMI」・・・ちなみにあらゆる生命の母である「海」も「UMI」・・・この様に「M」音を含むものは「女性的、で母性的」である
もう一つ、ついでに日本語以外にも上記の共通項が見られる言語があるので紹介しおこう。

アラビア語

 では・・・・「男性」を「RAJURU」(しっかりとRA音が含まれている!) 「女性」を「MARUA」といいます。・・・どうでしょう?これもただの偶然でしょうか?
(後、補足的にもう一つ。ムー文明では、神聖なるMU母性なるものを信仰していたというがこれは恐らく「水」に関する性質を何らかの方法で生活に必要な「エネルギー」に転換していたのではないだろうか?・・・それはちょうど、古代エジプト文明が「太陽神ラー」を信仰していたのと同様に・・・つまり古代エジプト場合は太陽エネルギーから様々な生活に必要な「動力源」を引き出していた(中近東地方では古代遺跡の近くから太陽電池らしきものが発見されている話は有名である。・・・ちなみにアラビア語でも「水」は「MAA」と発音される・・・
・・・さて他にも「古代共通言語」の存在を示している様な、色々な神聖音が本書では紹介されていますがもうこれくらいにして、ここで面白い相似的な2つの図を紹介しましょう.
この二つの図を見てどう思うだろうか?何か不思議な感じがしませんか?生物の卵子と精子が受精する構図はよく解るとおもいますが、左の「太陽系の生命生成のモデル図」というのは・・・・でも2つを比較して見ると粗、共通した構造図になっている事に驚きませんでしたか?
2つとも「生命発生」の重要な、また決定的な「モデル図」です。よく、私達のこの体は「小宇宙」だ。何て事を聞く事がありますが、この大宇宙内においても「精子」と「卵子」の関係の如くに「彗星」と「太陽系惑星群」が引かれ合い「生命発生」の場となっている・・・とても不思議な感じを私は受けた訳ですが・・・ (もしかしたらこれは一つの法則性に基づいているのかもしれません。)
そしてこの能動的(活動的)な球を「勾玉」と呼び、(勿論日本語です)世界中の古代遺跡から出土されているのです。(有名な3種の神器の一つとしても登場しますね。「ヤサカの勾玉」・・・ちなみに少し話がずれるかもしれませんが、「ヤサカ」=「ヤーサカ」という言葉は古代ヘブライ語で「神を信じる」・・・という意味になるらしい・・・古代人はこの「勾玉」に何か「神秘的な力」を感じ取っていたのかもしれません。・・・・・
 ところで、あなたは「精子」が無数にある理由をキチンと説明する事が出来ますか?この著者は解り易く説明してくれています。それは、「卵子には卵子の成熟を手助けしていた何百という濾胞細胞がついており、これを取りはずさなければ受精は出来ない。これには1つの精子では無理であり、卵子に到達した無数の精子達はこれを共同で行うのである。そしてやっと裸状態になった卵子にはさらに卵膜という強い城壁があり、やはりこれも1つや2つの精子で破る事は出来ない。何百という精子が一斉に頭部にある卵膜を柔らかくする物質で働きかけて、卵膜を突破出来るほど脆くするという共同作業に取りかかる。そしてやわらかくなった卵膜の箇所にいた精子が、初めて卵子に交わるのである。
 「受精」とはこの様に無数の精子の実に調和ある共同活動の結果なのであり、精子は早い者競争や生き残り合戦をしている訳ではない。そこに見られる精子の活動は、競争や淘汰ではなく「和」である。無数の精子は全て、1つの目的の為に各々の役割を奉仕的に演じるのだ。生命の原点は、この精子達や卵子に見られる「一体性」、「活動性」、「奉仕性」にある。この様な自然界のありのままの姿を無視して、

すべてを自然淘汰として片付けてしまう「ダーウィン式」の発想は、我々の概念に大きな歪みをもたらす。

人と人、企業と企業、国家と国家が対抗しあう現代社会は、まさにこの「ダーウィン式の競争」と自己主張に基づく架空の精子の概念そのものである。

故に生命の原点である「受精」への認識は理想的社会を築く上で、最も重要であり、我々はもう一度この生命の原点の持つ意味を見直す必要があるのではなかろうか?

・・・と著者は述べています。  ・・・さて、話を元に戻しまして再び「MU」文明のお話です。「MU」という言語発音に母性的な概念と円形のシンボル性が含まれているというお話は理解してもらえたと思います。そしてその「MU」言語の発音的遺産を数多く残しているのが、日本語であるという事実も憶えておいた方がいい事なのでしょう。
最後に著者の結論を少しまた抜粋してみましょう。「外の文化を学び吸収して発展した日本民族の経緯は、まさに水の性質そのものである。(受容的である。母性に富んでいる)日本はまた世界一の長寿国でもある。若さの象徴「水」に世界で最も恵まれた国が、世界一の長寿国であるのも偶然ではないのかもしれない。しかし、現在貪欲に営利を求める人間達による環境汚染により、世界の水は汚れつつある。この様な、破壊されつつある水の存在と母性原理喪失(現代社会では極度に男性原理が突出 し過ぎていると言うのだ。)との共時性も決して偶然とは思えない。

水を失った生命は、必ず崩壊する。

 「日本」とは今地球にとって「MU=水」とならなくてはいけない存在なのではないだろうか?」・・・・と述べておられます。・・・・どう思いますか?皆さん。私はこの本を読んで実直に「日本人である事の誇り」というものを自分の心の中に蘇えらせてくれたな。と率直に思いましたね。今から1万年以上前に栄えたという「MU」文明、その哲学の一端が私達の言語の中に隠されていたなんて・・・私達はまた、この「ムー文明」の全容を、そしてこの国は何故海中に没していかなければならなかったのかを世界に向けて解明してくべき使命を担っている民族なのかもしれません・・・
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